メディアの脅威

坂の上の雲」は第2巻に突入。
司馬遼太郎の小説をいくつか読んでみて(膨大な彼の著作の中ではほんのわずかですが)、最初は「面白い」と思うだけだったのが、このところちょっと気になる部分が出てきた。
彼はとにかく歴史を良く知っている。一体どうやって調べたんだと思うことしきりなんですが、いい加減「くどいよ!」と思うところが多々あります。
物語の流れを止める余談も多く、単なる知識のひけらかしか?と感じる部分がなくもない。
何より、彼自身の歴史観を押し付けられる感が微妙に感じられるんですよね。


坂の上の雲」の中でも、彼は「明治は明るい」と言う。確かに太平洋戦争時に比べれば当の日本人の誰もが勝てるとは思わなかった清国、ロシアと言う世界に冠たる大国に立て続けに勝っちゃったわけだから、明るい時代だったのかも知れないけれど、300年の平和を保った士族は職を失い、庶民は重税にあえぎ、兵隊にまで駆り出されるようになった時代です。
203高地に赴いた人々はそれこそ生き地獄を見たはず。本当に「明るかった」のか?

う〜ん、うまく言えないんだけど、おいらが常々思うこと、それは、「人の言うことを鵜呑みにするな」と言うことです。
いかに司馬遼太郎という偉大な作家の言うことであっても、全部が全部鵜呑みにしてしまってはいけないのではないかと・・・。


似たような感覚はテレビを見るときにも感じます。
最近のニュースは必ずコメンテーターというのが出てきて、「このニュースにはこういう意味がある」みたいなことを視聴者に無理強いする。
これがおいらのテレビ嫌いの元凶で、みのもんたなんて最たるものです。
まだ裁判も終わってない容疑者を犯罪者と決め付けてみたり、政治家の政策を大した分析もせずに批判してみたりする。「お前、何様だ?」とどやしつけてやりたくなることもしばしばです。
刑事事件であれば、「○○が××の容疑で逮捕された」とだけ報道すればいいのであって、容疑者の胡散臭い知人にインタビューして「そんなことする人には見えなかった」な〜んて答えるシーンを放映する必要はない。
たとえば政府が増税を発表したとしても「○○税の増税閣議決定されました」とだけ伝えればいいのであって、「そりゃおかしいでしょ」なんて偉そうなコメンテーターがくっちゃべるシーンを放送する必要はない。判断は一人ひとりの国民が選挙ですりゃいいのです。


そもそも幕末以降勃興した日本のマスメディアの原点となる新聞は各紙とも政治思想を宣伝する媒体としてスタートしています。だから読む側はそれに洗脳されてはならない。
読む側、見る側がその裏に隠された思想を吟味し、個々人が噛み砕いて判断しなければならないと思う。
なんと言っても、映像と言う強烈な洗脳力を持つ昨今のメディアは、視聴者を作者の考えによって簡単に一方向に導いてしまう危険性があると思います。