点と点

たまたま本屋で手に取った「キテレツ林蔵」という本。
物語も面白いのですが、驚いたのは間宮林蔵茨城県人だったということです。

ほっぺたが赤いのは田舎ッぺだからではありません(笑)。
厳しい北方探検のなかで負った凍傷の跡のようです。


うすまゆ星人さんによれば、現在のつくばみらい市伊奈町に彼の生家と記念館があるらしい。


ということで、信号で止まるとレジアスエースが揺れるほどの寒風吹きすさぶ中、行って参りました。

谷和原ICにほど近い、小貝川のほとりにそれはありました。

つーか、ここ、ナビが無ければ絶対たどり着けませんね。
周りは遠くに筑波山が見える田んぼのど真ん中。

大通りには看板もなく、細い田んぼ道をくねくねと走ってようやくたどり着きました。


記念館はごく小規模なものですが、中には彼が描いた直筆の樺太の地図などの貴重な資料がたくさん展示されています。
日本地図と言えば伊能忠敬ですが、こと北海道においては、忠敬が完成させたのは東南部の一部だけで、残りのほとんどは間宮林蔵が作ったそうです。へー、
館内は撮影禁止なのが残念。

移築された彼の生家はこんな感じ。

実に質素なもんです。

でもお墓は立派なものでした。

樺太が「島」であることを世界で初めて発見した偉大な探検家であると同時に幕府隠密であり、あのシーボルト事件を告発したのも彼だと言われています。
晩年は瀬戸内海など西国にて隠密として働いたのだそうです。

まさに波乱万丈の人生。

ここで、ふとスティーブ・ジョブスの演説を思い出しました。
「点と点」というお話です。
瞬間瞬間を見れば、それが未来にどうつながるかわかりません。でもあとから振り返れば、それがつながっていることがわかってくるというのですが、もし、間宮林蔵という人が居なかったら、樺太が一時でも日本の領土でなかったら、私の祖父が樺太に赴任することはなかったのではないだろうか・・・ということは、もし彼がいなかったら、おいらはこの世に存在しなかったかもしれない。

うーん、運命感じるなぁ。
帰り道、夕暮れの地平線にすっくと立つ富士山を眺めながらそんなことを考えた日曜日でした。