奇跡の船

このところ、どーにもこーにもツキがないというか、やることなすことマイナス方向。
そんな時、めったに見ないテレビをつけたら、かつて南極観測船として活躍した「宗谷」の話をやっていました。


実はこの船、おいらの父親が樺太から帰ってくるときに乗った船でもあります。
で、ちょっと気になって色々調べてみました。


すごい!本当に凄いです。
まさに神がかり的とも言うべき強運の船。
ソ連向けの貨物船として生まれるも結局引き渡されず日本の貨物船として活躍、その後海軍の特務船として軍事行動に。米潜水艦から魚雷を受ければ不発で逆に爆雷を落としてその潜水艦を撃沈、空爆を受けても沈みませんでした。
戦後は外地からの引き上げ船として1万人以上の同胞を祖国に送り届け、その後は到達不可能といわれた南極へ6度の航海を達成。引退後も灯台補給船、海難救助船として恐るべき働きをして、この船に助けられた人の数、実に1千人超。40年以上にも渡り、働き続けた世界一の働き者です。


実はうちの親父殿が引き上げる時、本当は「宗谷」ではなく1日前に出航する「小笠原丸」の乗る予定だったのだそうです。
ところが、ソ連に抑留され、軍馬用の干草狩りに駆り出されていた親父殿が作業場から自宅に帰る列車に乗り遅れ、小笠原丸に乗れず、止む無く宗谷に乗船。
ここが運命の明暗を分けました。
小笠原丸は小樽沖にて国籍不明の潜水艦の攻撃を受け沈没。所謂三船殉難事件です。乗り遅れ、宗谷に乗船したおかげで親父殿一家は難を逃れたというわけ。つまり、宗谷に乗っていなかったら、今のおいらもこの世に存在しなかったというわけです。



そんな話を聞いて、ツキのないおいらの現状を打破してくれるのは、もしかするとこの船かも知れないと、どうしても実物を見てみたくなりました。
更に調べてみるとこの船、東京のお台場に永久展示されているらしい。
東京なら、日帰りで見てこれるじゃん。というわけで、親父殿を引っ張り出して行って来ました。


途中常磐道守谷SAで昼食。
ふと駐車場を見ると、なにやら見たことのある車が・・・。

なんと、筑波山帰りのテルさんでした。
運命、感じるなぁ(笑)。


展示されているのはお台場の「船の科学館」。

首都高のお台場ICを降りてすぐ。
渋滞もなかったし、駐車場も広く、東京嫌いなおいらもこの場所は気に入りました。


で、早速「宗谷」見学。
実に64年ぶりに宗谷の甲板に上がる親父殿です。


船体はびっくりするくらいちっちゃいです。

これで本当に南極まで行ったの?ってくらい。
総トン数は3000トンに満たない。
樺太からの引き上げ時はこの小さな船に1300人も乗ったのだそうな。
途中、乳児が押しつぶされて命を落とすという悲しい事件もあったらしい。
それでも、なんつーか、他の船にはないオーラが漂っています。


あのタロ、ジロもこの船で南極に渡ったんですね。

彼らが生き残れたのはやはりこの船の強運が乗り移ったのかも。


宗谷の操舵室。

ケープタウン沖の暴風域では船体が60度以上も傾いたらしい。
そんな傾斜でどうやって操舵したんでしょうね。
船も凄いが、当時の乗組員も凄かったんだろうなぁ。


宗谷の隣にはかつて青函連絡船として活躍した「羊締丸」も展示されています。
こちらの展示もなかなか面白い。
中にはこんなセットがあったり

こんなポスターが貼ってあったり

あーっ、このりんご箱、見覚えあるー

ってな感じで、昭和の匂いプンプンですw。
船の作りは今の青函フェリーなんかより全然豪華で船体も大きいです。
今からでも現役復帰できるんじゃないですかね。


そんな感じで無事見学終了。
64年ぶりに我が一族の命をつないだ船に乗り、親父殿も少々興奮気味でした。

帰り道、東北道を運転していて、ふとここ2週間ずっと続いていた歯の痛みが消えていることに気がつきました。
やっぱり、「奇跡の船」かも。